2人で見た景色

去年の11月の最後の日 僕は夜勤が終わりそのまま面会に行き 妻も調子が良かったので外出をした 大好きだったBROOKでパンを買い 珊瑚礁でガーリックポテトを買って 鎌倉プリンスの前の坂道に車を停めて 海を見ながら2人で食べたね あの時の景色、あの時の会話 楽しかったこと、2人で泣いたこと ずっと忘れないよ にほんブログ村 

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ママの想い

せん妄の症状が改善すると 次に襲ってきた副作用は便秘だった 妻は元々便秘症だったので尚更酷かった その対処として下剤を内服する あまりにも出ないと、下剤の量を増やす そして増やし過ぎると便が緩くなり過ぎて 身体の痛みで速やかに動けなかった妻は トイレに間に合わなくなる しっかりと便意もあり、せん妄もないのに 便を漏らしてしまう 妻はどんな気持ちだっただろう この頃から息…

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あなたが好き

2017年11月9日 脳MRIの結果は転移の所見なし 全く異常はなく綺麗な脳の画像だった 約1週間のせん妄状態からも回復した その1週間の記憶が妻にはあやふやだった でも名前を書けなくなったことは覚えてた そして記憶が断片的な1週間だったことも 『生きているのがつらい…』 妻が初めて生きることを諦めようとした それほどまでに耐えられない事だったんだ 『◯◯(息子)と3人で死の…

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センサーマット

面会に行くと 妻が書類にサインをしようとしていた 『やばいよね』と言いながら妻が笑った それはセンサーマットの同意書だった 妻も仕事柄センサーマットを使用する事が どういうことなのか分かっている 屈辱だっただろう… そして、その同意書に向かって手が止まる 『あれ…』と言って照れ笑いのような表情を 浮かべたが、すぐに涙に変わった 自分の名前が書けなくなっていた 途中まで書いて…

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義父との衝突

疼痛ケアの麻薬の副作用で 眠気や便秘、せん妄の症状が出てきた 僕は仕事柄、せん妄がどういうものなのか ある程度は理解していたが 妻の両親には受け入れがたい症状だった トイレと言って立ち上がったが 洗面所で歯磨きを始めたり 息子の誕生日が言えなくなったり 会話が成立しないことが多くなり 面会に来ても私に対して 『どうしてこんな状態になったんだ?』 『おかしくなったのか?』 …

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迷い

LINEの文章がおかしくなり 夜中に電話をかけてきたり 普通の時もあるけど 明らかにおかしい時もあった 本人もそれに気付いていたみたいだが お互いに言えなかった 何故言えなかったのかというと もしかしたら脳に転移しているのかも… その思いがあったからだ 以前妻が言った言葉を忘れてなかったから 『脳に転移したら死にたい』 息子や僕のことが分からなくなったら 生きていても意味…

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乗り換え

1年前の秋は、妻の疼痛が激しくなり 車での移動が苦痛に感じる程になった シートをフラットにできる車を検討し 購入した車の納車が10/26だった 誰よりも楽しみにしていた妻は 病院に外泊届けを出して納車に立ち会った 新車を一番最初に運転したのは妻だ 家の周りをほんの1km弱だがドライブした 『これでみんなで旅行に行けるね』 結果的には妻が運転したのは最初で最後 乗ったのも外出外…

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終わりへの始まり

1年前の今日 妻が再入院をした 痛みが強くなり、 自ら望んでの入院 当日のLINEでは『目標は10日間✌️』 と明るい感じで、あくまでも薬の調整での 入院のつもりだった ちょうどその1年前の同じ時期にも 痛みが強くなり入院をしていたから その時はトモセラピー(放射線治療)も含めて 1ヶ月の入院だったけど 今回はそんなに長く入院したくないからと 妻は早めの対応の入院との位…

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最後の旅行

妻が大好きだった東伊豆の温泉 季節ごとに年に4回 産後も息子が6ヶ月になるのを待ち 抗がん剤の休薬の週に 体調を見ながら行っていた 左胸を全摘していたこともあり 客室露天風呂や貸切りの露天風呂がある 旅館を巡るのが妻の楽しみになっていた 辛い治療に耐えるモチベーションにもなり 大切な思い出を残すことでもあった 結果的に去年の9月の旅行が最後になった 妻、妻の両親と兄、僕…

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オプソ

去年の9月の中旬頃から 妻はレスキューで使っていたオプソを 予防的に使用するようになっていた 痛みが強くなる前に内服するようになり 量は自分でも気を付けており 1日の上限を超えたり 上限近くなることはなかった ただ副作用として眠気が著明に現れ ボーッとしていることも多くなった 子供と遊んだりお風呂に入ったり ご飯を作ることも少なくなっていった 内服量が徐々に増えて気にはなっ…

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