決断

悩んだ。日数にして3日ほどだったが、72時間の殆どをかけて悩んだ。誰に相談しても『危険』『胎児に何かあったらどうする?』『誰が責任をとるんだ?』『やる必要があるのか?』否定的な意見しかなかった。そして私自身も何も言えなかった。『少しでも長く生きたいから、やるよ』『赤ちゃんのことは先生を信じるしかない』妻が言った。子供を産むのも、抗ガン剤治療するのも妻。私に出来ることは、側にいること。そして妻の決…

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後悔

あの時こうしてれば…あの治療法で良かったのか…色んなところに連れていってあげたかった…美味しいものいっぱい食べさせたかった…もっと優しくしてあげてれば…何で入院中に声を荒げちゃったんだろう… 妻を失ってから、後悔の波が押し寄せてくる。後悔しない日はない。 でも一番の後悔は、最後の入院中に何度かついてしまった嘘だ。本当はもっと早く行けた日もあった。本当はもっとゆっくり出来た日もあった。休みなの…

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抗ガン剤?

退院してからは、出産に向けて突き進んだ。徐々にお腹も大きくなっていき、私自身も父親になるんだと実感してきた。 そして妊娠38週を待って出産と決まった。そこまでは、実際に忘れてはいなかったが癌のことは会話にも出なかった。 しかし妊娠32週の検診の後に乳腺外科を受診すると主治医から思いもかけない提案があった。出産前から抗ガン剤治療をしないかと。意味が分からなかった。元々の話では、出産後から半年間…

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落ち着くわけない

職場の人や友達から『少し落ち着いた?』と声を掛けられる。みんな何て声を掛ければいいのか分からないんだろう。ならば放っておいてくれればいいのに。 落ち着くわけない。落ち着きたくない。悲しみを乗り越えるつもりもない。 思い出の中の妻はいつも笑っているけど、思い出してる自分はいつも泣いている。 それでいいんだ。泣き続ける人生だっていいんだ。 今は、それでいいよね。 にほんブログ村

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退院

術後、5日ほどで退院した。こんなに早く退院できるものなのかとビックリしたのを覚えている。まだ患部に痛みはあるようだけど、日常生活には大きな支障はなかった。寝相の悪い妻は、左に寝返りをうてないことが大変だった。 家に妻がいるだけで安心した。手を繋いで寝た。 にほんブログ村

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手術翌日

手術の翌日の朝、妻からLINEと写真が来た。『常食✌️』と。 面会に行くと、まだ出血があるためドレンが左脇から出ていた。歩くことは可能で、ドレンが見えないように小さなバッグを方から下げて散歩していた。その姿がすごく愛しかったことを今でも鮮明に覚えている。 にほんブログ村

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銅メダル!

カーリング女子が銅メダル獲得。妻が他界してから、妻のこと以外で初めて泣いた。 にほんブログ村

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大雪の告別式だった。あれから1ヶ月。トンネルの手前の陽が当たらない一角にまだ雪が少し残っていた。いつまでも残ってほしいと思っていた雪が1ヶ月も残ってくれてた。旅立つ5日ほど前に、『雪が見たいなぁ…』と言ってたね。告別式の大雪は、あなたが降らせたのかな?ちゃんと雪は見れたかな?毎年、北海道や長野、新潟に滑りに行ってた頃が懐かしいね。冬のオリンピックも楽しみにしてたのにね。まだ奇跡的に残っている雪を…

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術後

術後3時間ほどすると、意識も声もハッキリとしてきた。妻はおもむろに掛け布団をはぎ、手術着の左胸の部分を上げて見た。『本当にないね!』ショックを隠すように明るく言ったが、妻の気持ちを思うと、どうリアクションしていいのか分からず、ただ手を握りしめた。 にほんブログ村

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手術

8:30看護師さんが迎えに来た。エレベーターに乗り、手術室のある2階へ。前日の説明で思ったことだが、ストレッチャーで移動するのではなく歩いて手術室まで行くことにビックリした。手術室の入り口で一旦お別れだ。妻は普段と変わらない感じで『行ってくるね』と言った。『頑張って』と私が言うと『頑張るのは先生だよ』と笑った。手を振る妻の姿は今でも鮮明に覚えている。 前日の説明では手術は2時間前後とのことだっ…

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